倶子オフィス〉著書「俳優がゆく」より

 俳優とマネジャ−

     

 粟津夫婦、二人っきりのプロダクション「倶子オフィス」の設立は1995年4月1日である。独立、旗揚げするに当たって、前のプロダクションと少し、モメた。
「今すぐでなくても、しばらく所属を平行する形でやったらどうですか。奥さんもこの道のシロウトなわけだし、芸能界を知るためにも一年くらい経験してからでも遅くはないでしょ。どうですか?」

昼下がりの喫茶店。話はなかなか決着をみない。一本立ちは困難なのかなァと気持は暗く沈む。その時、「倶子オフィス」代表は意を決したように凛然と言い放つ。
「ハンパな形では、わたしの気合いが入りません。きっぱりと四月から離れさせていただきます」
 彼女の一声で独立は決まった。私は情けなくも唖然と黙したまま、その声を聞いた。

 本来あるべき「俳優」と「マネジャー」の関係は「一心同体」の信頼感を持って、互いの努力が互いの繁栄と幸福をもたらす関係のことです。宝石のように俳優をいとおしみ、やりがいある仕事を求め売り込んでいく。これが、いいマネジャーでしょう。
 しかし、マネジャーとタレントの関係は、なかなか難しいのです。俳優の持つ適性や個性、デリケートな感性を理解せず、「仕事なら何でもやってもらうぞ」の営業優先がマネジャーへの不信、不満となって溜まる。一方、マネジャーは、「足を運び、頭を下げ、ようやく仕事を持ってきたのに、それをやりたくないとか、いやだと言うのは役者のわがままだ」との言い分がある。そんなギクシャクした行き違いが、両者間にしばしば起こってしまうのだ。

 マネジメント料の問題もある。「倶子オフィス」独立に際し、私の出演ギャラのうち、二割のマネジメント料が離脱によって失うことは困ることであったろう。この二割のマネジメント契約は良心的な方である。プロダクションによっては、ギャラを折半するという契約もあるし、芸能プロによってはタレントを給料制にする。
 元「ピンクレディ」のケイちゃん(増田恵子)から聞いた話では、売れっ子当時の月給は五十万円で、年間およそ三億円を稼ぎあげたという。超のつく多忙は、盲腸炎のとき、ラップを腹部に巻いて紅白出場を果たした。一九七五(昭和53)年、『UFO』の大ヒットの頃であろう。静岡の女の子をスターに仕上げたプロダクションの投資も多大であったと思われるが。

 ドラマの配役は、主演スターをかかえるプロダクションの発言力が極めて強く、主要なキャストはほとんどそこで決まってしまう。
「この役は粟津にしか出来ない」と、監督がこだわり、うんと突っ張ってなんとか私に配役されるといった具合。そんな監督にくる仕事は多くない。製作サイドには、頑固でやりにくい演出家と映るからだ。無難な配役を予算内でやり終える。全部とは言わないが、それがテレビに於けるドラマ制作の現状だ。私がテレビに出るという根底には、いろんな事情があるんですよ。

 わが「倶子オフィス」は大手プロからみれば弱小プロにすぎないだろうが、仕事にはきめ細かく対応する良質のプロダクションであり続けたい。抱える俳優は粟津のみ。所属を希望し打診してくる男女優もおりますが、責任を持ちかねるため、お断りしています。
「粟津號でなければならぬ」"こだわり"のひとを大切にし、撮影現場で、きっちりとその期待に応えたい。知る人ぞ知る「倶子オフィス」。年中無休。二十四時間営業です。

         

お茶会のあとで


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